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3.11からの7日間。心の灯火。尊さ、生きることの学び。

メンタルケア

東日本大震災から7年の月日が流れました。被害に遭われた方に心からご冥福を祈るとともに復興が進みますことを心よりお祈り申し上げます。

震災後2日ほど経過し、栃木にいる母と話していたら

「被災地寒いだろうね、毛布とか送れたらいいんだけどなんとかなる方法ないのかしらね。」

その言葉に確かに被災地は寒いだろう、みんな困っているのだろうと思い、twitterに「被災地に物資を送る方いませんか?」そうなげてからの7日間が始まりました。この出来事は、私の中で毎年昨日のことのように思い出される日々です。

twitterに投げると知り合いの方からメールが届きました。「水道橋でトラックを借りて物資を運ぶ方がいますので紹介します。」とのことでした。毛布を持って水道橋のあるお店に行きました。「〇〇さんから教えてもらって毛布を届けにきました。」と持っていきました。話を聞くと、トラックを借りるのも一苦労だったそうで、ご自身の貯金からトラック代を支払いやっとの思いで借りることができたとのこと。きっと私が訪れた時の気持ちと同じように無我夢中だったのでしょう。「物資は集まっていますか?」と聞いたら、これから集めるのだけど、ter3日後にはトラックを被災地に送りだすとのこと。そこで、なんの脈略もなく、「手伝います」と言っていました。

都内の友人が多そうな人に何人か物資の提供を求めましたが、誰も答えてはくれませんでした。そこで、私がピラティスで仕事をしていた西片のママさんにメールで問い合わせたところ、一気にPTAを通してご近所の方々が協力してくれました。阪神の震災や、新潟の震災を経験した方もおり、こういうものが役立つと教えてくれてとにかく驚くほど必要!と思われる物資が集まったのです。本当に感謝でいっぱいでした。

そして、トラックを送り出す当日、トラックに荷物を入れるために男性がではからったので私はトラックの前で見守りで待っていました。すると一人の女性が話しかけてこられました。

「そのトラックは被災地に行くの?」と。そうですと答えると、「近所の薬局で薬剤師をしているのだけど、みんなが必要以上に物を買って行ってしまうから、本当に必要な人に届かないの。でも断ることもできなくて。」と涙ながらに話してくれ、私も涙が止まりませんでした。そして、何かできることをしたいから私も今から何か持ってきます、とトラックが出発するまでに物資を提供してくださいました。

4トントラックは想像以上に沢山の物資でいっぱいになりました。私も最後の最後にお財布に入っていたお金で、何がいいのかわからなかったのですが、チョコレートをどっさり買い、(それで良かったのかはわかりませんが)パッケージに一言一言メッセージを書いてトラックの運転手さんに渡しました。それが誰に届いたのか、役に立ってくれたのかはまったくわかりません。知らない誰かにメッセージを書いたのは初めてでした。

震災からの1週間はとにかくご縁がご縁を呼び、何かに駆り立てられたかのように動きました。それは、多くの参加して下さった方も同じだったのだと思います。その多くは、家族を持つ人が多く参加してくださいました。皆さん何かしたくてもどうしていいのかわからなかったと、そう、何かあった時に助けたい、そんな想いは生きる中で最も尊いものであると感じます。

東京での、小さな小さな被災地支援の話でした。

そして今できることはなんだろうと感じます。ちっぽけな一人の活動でも何かの役に立つことはないだろうかと。それから毎年福島へ温泉宿へ行くようになりました。温泉地では、被災された方が大変だった時の話をしてくれるんです。タクシーでも、温泉入りながらでも。話すということで、人の心は少なからず救われるのだと思います。それを聞くことだけでも大切なことなんだと思います。

その後、日光へ行くと、ある蕎麦屋さんでも話を伺いました。きのこや川の魚を取ることが禁止だから、みんな仕事なくなっちゃったよ。しかしながら、「自然が元に戻るのからこれも自然にはありがたいことだろうね」と。ニコニコしながら話してくださいました。人の強さとは、心の清らかさとは、を学んだ気がしました。

未来を見ること、生きようと前に進むことを大切にする気持ち、それが、人々に心の灯火を与えるのだと思います。

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